組合員活動報告
【2024年度理事研修報告vol.2】理事研修1日目(2)「不屈館〜瀬長亀次郎と民衆資料」
2025.7.21
2024年度の理事研修として“平和”をテーマに2025年1月12〜14日に沖縄を訪れました。
各報告を掲載して行きます。
不屈館とは、沖縄の祖国復帰と平和を目指して命がけで闘った、瀬長亀次郎さん(元衆議院議員)が残した膨大な資料を中心に、沖縄の民衆の戦いを後世に伝えようと設立された資料館です。
当資料館には沖縄の民衆のために闘った亀次郎さんが残した資料を中心に、亀次郎さんを支えた沢山の民衆が残した記録や、米軍統治下から現在の沖縄の歴史、今も続く米軍基地による沖縄に住む人々への被害の記録などが展示されています。
現在、館長は亀次郎さんの次女である内村千尋さんが務められており、亀次郎さんの活動をそばで見てきた娘さんから館内を案内していただきました。
不屈館を訪れて最初に25分ほどのドキュメンタリー動画「おしえてよ亀次郎」を視聴させていただきました。その動画では、沖縄の復帰について、日米両政府の間で結ばれた沖縄返還協定が、琉球政府最後の建議書が届くことなく強行採決されたこと、日本政府と国会が、沖縄の民意を聞くことなく沖縄に基地を残したままの返還が決まったとの説明がありました。
建議書には、戦後占領下におかれた沖縄の実情と、復帰後の沖縄が望む姿が記されていましたが、突然の審議打ち切りにより、届くことなく、その建議書は幻の建議書と言われています。当時国会議員だった亀次郎さんは、沖縄の土地が返されないことを厳しく批判しました。

沖縄が日本に復帰する前、亀次郎さんは、戦後アメリカの占領下で生活の負担を強いられてきた沖縄の人々のために先頭に立ち、労働者の権利を主張し、土地を守り、祖国復帰を叫んだ人でした。

演説会を開けば、民衆の声を亀次郎が伝えてくれると、毎回10万人もの人が集まったそうです。今の時代のようにSNSもない中、口コミで集まったとのことでした。しかし、その影響力を恐れたアメリカは、亀次郎さんを逮捕投獄し、その後市民の投票によって那覇市長に当選するものの、市長の座を追放されました。それでも民衆は亀次郎さんに絶大な信頼を置いていたそうです。動画のタイトルである「おしえてよ亀次郎」は、今なお苦難の時が止まることのない沖縄で、現代の人々が教えを乞い続ける人、そんな思いから生まれた楽曲の題名でもあります。
施設の名前にもなっている「不屈」は、占領軍の弾圧を受けながらも闘い続けた亀次郎さんが好んで使っていた言葉にちなんでつけられたそうですが、民衆が亀次郎さんを不屈の人と称しているのに対し、亀次郎さんは沖縄の民衆の戦いが不屈だったと述べているそうです。そんな「不屈」と言われた亀次郎さんですが、娘さんが尊敬するのは、男女平等の精神を持ち、家では掃除洗濯を率先してやっていたところだとおっしゃっていました。戦後苦しい生活を支えている婦人たちのためにも力を尽くした人でした。
館内には、亀次郎さんの幼少のころから、学生時代、ジャーナリスト時代、沖縄人民党の創立、米国への宣誓拒否、人民党弾圧事件、那覇市長時代、国会での活躍など年代順のパネルや、亀次郎さんの書斎が再現された展示物があり、亀次郎さんが沖縄の人々と共に闘ってきた歩みと、当時の沖縄の人々の苦しみと強さを知ることができました。
また、全国から届いた亀次郎さん宛の激励の手紙も展示されていて、どれだけ多くの人々に支持されていたかがわかりました。全国から届く手紙は、宛先に那覇市と書かれただけで亀次郎さんのもとに届けられたそうです。
さらに展示物は、辺野古の基地問題や、ヘリコプター墜落事故の記事も展示されていて、沖縄の人々の暮らしを脅かす基地問題が今も続いていることを知らされる内容でした。



今回の訪問によって、沖縄の人々がいかに戦後苦しい生活を強いられていたこと、今なお生活の中に軍事基地問題があることを改めて知り、悲しさがこみ上げてきました。しかし亀次郎さんという、生涯を沖縄の民衆の為に闘った不屈の人という生きざまに感銘を受け、勇気をもらいました。日本が抱える問題はたくさんありますが、まずは知って学ぶこと、そして平和に対して声を上げていくことの大切さを学ぶことができました。(田井)